こんにちは

大阪市東淀川区の障がい者シェアハウス フィレールです🏠🌱

前々回の更新の続きから

クラウドナイン株式会社、そしてフィレールの創設経緯について

岡﨑天佑代表にお話伺いました🌟

設立経緯①はこちら

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そこでの診察の結果、膝に通常はいない菌がいることが発覚しました。

その菌が膝の骨や筋肉組織を溶かしているので、痛みが出ていたとのことでした。

その菌が膝にはいっていたなんてことは世界で10例もなく、日本では初めてとのことだそうで…前例がない手術になるので、色々な病院をまわりました。

結果的にどこにも受け入れてもらえず、京都大学附属病院と大阪市立大学附属病院の判断のもと、骨を削ってセメントで固定、もしくは足の切断が必要だと言われました。

処置内容を告げられた当初は頭が真っ白になりました。

これから柔道どころか、運動する事も叶わないのか、自分の幼い頃からの夢は、こんな所で断たれてしまうのかと。どこか他人事のようで実感が沸かなかったです。

時間が経つにつれて、徐々に自分の置かれた状況に現実味が湧き、耐え難い苦痛となって私を苦しめました。

「何故私なのだと」心底思いました。自分の夢はおろか、普通の生活すら自由に送ることが出来ないのかと。どこで何を間違えていたのか、どうすれば良かったのか、悔しくて仕方なかったです。

手術は壮絶なものでした。

合計で十数回おこないましたが手術で骨を削り取ったことはもちろんですが、筋肉の切除や、切開した皮膚の量が多かったことにより、説明を受けていた通り私は歩くことができなくなりました。

こんな辛い日々がこれからも一生続くのであれば、このまま歩けなくても良いか、頑張ってもまたすぐに手術になるかもしれないなら意味がないじゃないか。こんなの生きている意味があるのかと、自分の人生を諦めようと本気で考えたこともありました。

しかし、ここでも私は周りの人たちに救ってもらいました。

両親は共働きで、朝から晩まで仕事をしているのにも関わらず、少しでも休みたいはずなのに、毎日お見舞いに来てくれました。本当にこれ以上ないくらい愛情を感じました。自分の今の気持ちに整理がつかず、きつく当たってしまった事もあったのに、いつも優しく接してくれました。

両親は、こんな状況になってからというもの、私以上に涙を流し、悲しみ苦しんでいました。そんな両親を、少しでも安心させたいという気持ちが湧き出て、少しずつですが前を向くことができ、気づけば死に物狂いでリハビリを行なっていました。

私の弟も、私の分だけ頑張るから見てくれと、柔道とアメリカンフットボールを私のあとを追うように始め、同じ大学、同じポジション、同じ背番号で頑張ってくれています。その姿を見て、辛い時も何度も勇気づけられました。

足をセメント固めると言われても、再手術が必要だと言われても、これが終わっても、次いつ次手術してもおかしくない状態だと言われても、ただ自分の夢を諦めたくない、家族を悲しませたくない。そんな一心でリハビリを続けました。

何度も挫けそうになりましたが、踏ん張ることができたのは、友達や仲間の存在も大きかったです。

 アメリカンフットボール部はもちろん、中学や高校の仲間たちにも、読みきれない程の書籍をもらったり、毎日代わる代わるお見舞いに来てくれたり、自分の為に100人以上の応援メッセージを動画で貰ったりと、自分には勿体ない程の愛情を沢山もらいました。

長い入院期間も、嫌なことばかりではなく、私の人生観を大きく変えてくれる様な出会いもありました。

その出会いとは、障がいをお持ちの方々との出会いです。

私は合計して1~2年ほど入院しましたが、そんな期間入院していると、四肢を欠損された方や、臓器に病を抱える人たちと同室になることもあり、想像していなかった交友関係も広がりました。

明らかに私よりも過酷な状態に置かれているのにも関わらず、支援者もおらず、一人で生き抜いている話は、その当時の私の心を大きく揺さぶりました。自分ならこんなにも強く生きることができるだろうかと。

その人たちとの話の中で、自分の力で生きていくことが困難かつ、支援の場もない人はこの世の中にたくさんいると知りました。

難しいといわれていた手術も終わり、固めていたセメントを切除する手術などもおこない、在学中になんとか歩くことができるようになりました。

入院期間が長かったので、4年で卒業とはなりませんでしたが、無事大学を卒業できることになり、スポーツはもう本当に何もやり残した事がないと言い切れるだけやったので、また新しく、自分の好きを違う形で表現出来るように、仕事に打ち込もうと決心し、社会人としての一歩を踏み出しました。

私の学生時代はスポーツ一色でしたし、自分が健康(普通の生活)面でかなり苦労したという経験から、働くとしたら絶対に健康業界だと考えており、就職活動を行いました。

そんな折に、同じ大学で同じ部活だった方と知り合う機会があり、自分の経験やこれからしたい事を伝えると、「うちの会社は健康業界でコンサルをしている会社だから、うちで働いて色々勉強すると良いよ。」と代表の方からお誘いを受け、ヘルスケア産業のコンサルを行う会社に入職しました。

次回、社会人になってから現在に至るまでをお話いただきます!

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